山岸一雄が考案したつけ麺「特製もりそば」の味を忠実に守る真の継承店。「大勝軒の味」を後世に。
株式会社大勝軒TOKYOのプレスリリース
株式会社大勝軒TOKYO(本社:東京都豊島区、代表:田内川真介)が運営する「お茶の水、大勝軒」が2024年7月6日(土)より約4年ぶりに同じ場所で営業を再開し、伝統のつけ麺「特製もりそば」や「中華そば」の他、大勝軒本店が創業された当時のメニューを復刻し提供します。
所在地:東京都神田小川町3-1-5 須田ビル1F
電話番号:03-3291-9933
【大勝軒の伝統の味とは】
大勝軒の代名詞といえば「つけ麺」ですが、日本の「もりそば」の製法をヒントに考案されたので、中華風の「もりそば」ということで「特製もりそば」と名付けられました。
その「特製もりそば」はラーメンファンからまたたく間に支持され、日本に「つけ麺ブーム」をもたらしました。
今では多種多様のつけ麺が人気ですが、考案された当時の素朴で滋味深い味を継承している店は多くはありません。
【「お茶の水、大勝軒」の誕生】
つけ麺の考案者で後に“ラーメンの神様”と呼ばれた故山岸一雄は数多くの弟子を輩出しましたが、引退後「変わらずに自分の味を守ってくれる店を残したい」と「お茶の水、大勝軒」の創業に携わり、味の監修を担いました。
店主となる田内川真介は子供の頃から山岸の店に通っていたため、「幼いうちに憶えた味は一生忘れないから」と後継を託したと語っています。
【「復刻版メニュー」への想い】
店主・田内川真介は「特製もりそば」や「中華そば」の味の継承のみならず、山岸が創業当時に提供していた幻のメニューの復刻にも力を注ぎました。
「山岸マスターの料理の再現は自分に課せられた使命」との思いで、口頭で教えられたレシピをノートにまとめ、山岸監修の元、餃子、シュウマイ、タンメン、カレー中華などの他、多くのメニューを復刻しています。
【「神田カレーグランプリ」への挑戦】
神田小川町で創業して10年目の2016年に「神田カレーグランプリ」に初参戦し、山岸と共同で復刻した「カレー中華」をベースにした「カレーライス」で挑み準グランプリを受賞。
翌年、「カツライス」と「カレーライス」を合わせた常連客の裏メニュー「カツライスカレー」を復刻しグランプリを受賞しています。
【創業と同じ場所での復活!】
2020年、テナントビルの建て替えで一時休業を余儀なくされましたが、その間、神田神保町に代替店を構えて営業を継続しました。
また、山岸一雄の「いつか故郷の人たちにも俺のラーメンを食べてもらえたら」という遺志を受け継ぎ、山岸の故郷・長野県山ノ内町に「山ノ内大勝軒」を開業しました。
「山岸マスターが創業に携わってくれた同じ場所で復活できることは至福の喜びです。これからも大勝軒の伝統と味を守り続けてまいります。」と店主・田内川真介は意欲を新たにしています。
【町中華探検隊・北尾トロさんからのメッセージ】
『お茶の水、大勝軒』が変わらぬ“味と心”を携えて開業の地へ戻ってくる。
「そうそう、これこれ」の一杯を楽しみに待ちたい。
北尾トロ(町中華探検隊隊長)
【「お茶の水、大勝軒」の歩み】
2006年
山岸一雄監修のもと、「お茶の水、大勝軒」を創業。
看板メニューの「特製もりそば」「中華そば」以外にも、復刻版メニューとして「餃子」「シュウマイ」を伝授される。
2007年
山岸一雄と二共同で「カレー中華」を復刻する。
また創業当時のレシピを折をみて伝授される。
2015年
師匠・山岸一雄逝去。
弟子たちで構成するのれん会「大勝軒 味と心を守る会」創設に尽力。
◇同年
日本最古のラーメン店のれん会でであり、大勝軒の発祥の母体でもある「丸長のれん会」に加盟。
2016年
開業10周年の記念事業として「山岸一雄の秘蔵のレシピシリーズ」を開始。
第一弾「冷やし五目中華」を復刻する。
◇同年
第二弾「カレーライス」を期間限定で復刻し、「神田カレーグランプリ」に参加。
初出場で「準グランプリ」を受賞。
2017年
第三弾「もりカレー」(カレーつけ麺)を復刻。
◇同年
裏メニューの「カツライスカレー」を復刻し「神田カレーグランプリ」に出場。
「グランプリ」を受賞。
◇同年
ビルの建て替えに備え、東京都千代田区神保町に「お茶の水、大勝軒 BRANCHING」を開業。
2018年
第四弾「硬い焼きそば」(揚げ麺に野菜あんかけソース)を復刻。
2019年
「よこすかカレーフェスティバル」の「首都圏三大カレーの聖地バトル」において優勝。
「キング・オブ・ターバン」の称号を授与される。
◇同年
第五弾「焼肉ライスカレー」で「神田カレーグランプリ」に出場し「準グランプリ」を受賞。
同時にオリジナルの「ドライキーマカレー」で「マイスター賞」を受賞。
2020年
第六弾「炒飯」を復刻。
◇同年9月
ビルの建て替えのため「お茶の水、大勝軒」を休業。
◇同年12月
山岸の故郷・長野県山ノ内町(志賀高原)に「山ノ内大勝軒」をオープン。
2021年
冬期限定で「みそそば(味噌ラーメン)」を復刻。
2022年
「かつ丼」を復刻。
2024年
創業地・神田小川町の同ビルで営業再開。
【山岸一雄プロフィール】
山岸 一雄(やまぎし かずお、1934年(昭和9年)4月28日 – 2015年(平成27年)4月1日)は「池袋大勝軒」の創業者。
日本におけるつけ麺の普及に大きく貢献し「つけ麺の生みの親」また「ラーメンの神様」と呼ばれ広く親しまれた。
《経歴》
長野県下高井郡山ノ内町に生まれ、3才まで過ごす。
4歳の時に海軍所属の父の勤務先だった神奈川県横須賀市に転居。
7歳の時に父が戦死、生まれ故郷の山ノ内町に戻る。
1950年(昭和25年)中学卒業と同時に上京し工場で旋盤を扱う仕事をしていたが、親の従兄であり、小さい頃から「兄貴」と慕っていた坂口正安に「一緒に店をやらないか」と誘われ、1951年(昭和26年)4月、東京都杉並区阿佐ヶ谷の「栄楽」で修行を始め、同年、坂口と共に『大勝軒』(中野店)を立ち上げる。
この店名は「大きく軒(のき)並みに勝る」と言う言葉に由来する。
後に坂口が代々木上原に本店を移設したことにより、山岸が中野店の店長を任されることになった。
その頃、修行店時代からまかないとしていた「つけ麺」を食していたところ、それを見ていた客に「俺にも食わせろ」と言われ提供したところ、高評価だった。
「これはウケるかもしれない」と試行錯誤しながら研究を行い、常連客に試食させたところ評判が良かったので商品化を決意。
1955年(昭和30年)「特製もりそば」として「つけ麺」を日本で初めて商品化。
1961年(昭和36年)に東池袋にのれん分けとして「大勝軒」を独立創業。
「特製もりそば」を中心に人気を博し、以降行列の絶えない店となった。
1986年、妻の死により休業したが、客の強い要望を受けて復活。
その後、弟子を取ることに方針を転換して約100人の弟子を持ち、暖簾分けもさせた。
2007年3月20日、たくさんのファンや同業者に惜しまれつつ閉店。
引退後は弟子や後輩の店の他、数多くのラーメン店の良きアドバイザーとして尽力。
日本のラーメン文化を牽引する第一人者となり、「ラーメンの神様」と呼ばれるようになった。
2015年4月1日逝去。