日本酒文化を学びおしゃれに日本酒を楽しむ酒にまつわる大人の嗜み講座『夏を彩る江戸っ子の肴』を開催!

日本の酒情報館で飯野亮一先生の話を肴に季節の美酒を堪能

日本酒造組合中央会のプレスリリース

江戸の食文化史の第一人者のひとりである飯野亮一先生

全国約1,600の酒類(日本酒、本格焼酎・泡盛、本みりん)メーカーが所属する日本酒業界最大の団体である日本酒造組合中央会(以下、中央会)は、國酒の魅力に直接触れて知ることができる「日本の酒情報館(以下、情報館)」を企画・運営。日本酒の魅力やトレンドをより多くの方に知っていただこうと、随時、情報発信をしています。

情報館では日本酒を歴史・文化とともに楽しんでいただくご提案をしています。その一環として、現在に続く日本酒文化の基本と言われる江戸の食文化とその文化背景を学ぶ『酒にまつわる大人の嗜み講座』を開催いたしました。

当日は、酒を主役に楽しむ居酒屋文化が酒どころの関西ではなく江戸で開花し、江戸の町でどのように大衆に楽しまれていたのかについて、今回は、土用の丑の日(今年は7/24)に因んで「夏を彩る江戸っ子の肴」というテーマで、江戸の振り売り(ふりうり)の蒲焼、夕河岸の鯵、新芋(里芋)、枝豆、おでん等について、江戸食文化史の第一人者のひとりである飯野亮一先生からおしゃれに酒を楽しむ大人の嗜みにつながる文化背景の話を伺い、江戸文化を感じるお弁当と、燗酒・冷酒あわせた8種類の酒を参加者の皆さまに楽しんで頂きました。

江戸で飲まれていた酒は、下り酒の諸白(もろはく)といわれる現代の上等な酒が中心で、上方(畿内地方)から船に積まれ10日程波に揺られながら運ばれてきた酒は、熟成して美味しくなるとお話されていました。ほかにも、濁り酒もかなりの量が出回っており、諸白よりもっと安く買うことができたそうです。当時は、酒屋で酒を購入し自宅で飲むスタイルが定着し、酒屋で大きな徳利にお酒を注いでもらう「量り売り」で酒を買っていたと言われています。

酒の肴の購入に関しては、振り売りという、笊(ざる)や木桶、木箱やカゴを前後に取り付けた天秤棒を振り担いで、呼び声をあげながら商品を売り歩く形式が一般的で、家にいながらにして季節の「酒の肴」を入手でき、24種と多種多様な食材が扱われており、まるで「移動式のスーパーやデパートの食品売り場」とコメントされておりました。

江戸時代中期になると、客が酒屋で買った酒を待ちきれずに現代の角打ちのようなスタイルで、酒屋で酒を飲むようになったことが居酒屋の起源だそうです。その後、酒屋が酒の肴を充実させていき現代の居酒屋スタイルになっていったとお話されていました。

■夏を彩る江戸っ子の肴

振り売りから様々な食べ物を入手できた江戸時代ですが、夏の時期に楽しまれていた代表的なものについて解説頂きました。

江戸前の看板と水槽に生きた鰻。入口で蒲焼を焼く姿(「絵本江戸大じまん」安永8年)
夕河岸の鯵売り(「川柳二合半酒初編」 嘉永4年)
皿に盛られた「芋の煮ころばし」と燗酒(「新版御政府流行名物案内双六」嘉永年間)

蒲焼売り
現代でも夏の風物詩として定着している「土用の丑の日」の鰻の習慣は、江戸時代に始まりました。

江戸では元禄時代ごろに蒲焼屋が生まれ、やがて辻売りの鰻(鰻を入れた丸笊を天秤で担ぎ、街角で鰻を割いて串に刺して売るスタイル)や、岡持ちに入れた蒲焼売りが現われるようになりました。また、安永8年(1779年)になると座敷のある店舗の形態を構えた「鰻屋」が登場します。当時の辻売りの蒲焼は、蕎麦と同じで十六文ほどで売られていたそうです。味付けは、醤油と酒から、醤油とみりんを使ったものに移行し、醤油も薄口から濃い口になっていきました。タレを使って蒲焼にする鰻は人気が出て江戸料理となっていきましたが、手間と時間がかかるため、蒲焼が出てくるまではお新香で長々と酒を飲むというスタイルが定着していったそうです。

土用の鰻の発祥については、夏の鰻の売れゆきがいまひとつだったため、蘭学者の平賀源内に相談したところ「本日土用丑ノ日」と店頭に張り紙をして宣伝するよう提案されたという逸話もありますが、裏付ける文献は残されてません。もしかすると、鰻屋で酒を飲んで待っている客が面白おかしく要望やアドバイスしたことがきっかけとなり「土用の丑の日」に鰻を食べる習慣が始まった、というのが現実味のある話かもしれないとコメント。少なくとも『江戸買物独案内』に春木屋善兵衛が「丑ノ日元祖」を名乗っていることから、この頃には元祖を名乗る店があったことが確認できるそうです。

夕河岸の鯵売り
江戸時代の日本橋は江戸城に物資を納める水路の要所として物流の拠点であったため、「魚河岸」があり、江戸の食生活を支える起点となっていたそうです。新鮮な魚介類が手に入ることから、魚介を売る振り売りもあり、夏には夕河岸の鯵売りといって、その日に獲れたアジを夕方の涼しくなった時間帯に売り歩き、その場で刺身にしてくれる商売も行われました。家に居ながらにして新鮮な鯵が手に入ることから酒の肴としてとても重宝されていたそうです。

新芋売り

江戸時代に「芋」と言えば里芋のことです。ジャガイモも江戸の終わり頃に出回っていましたが一般的ではなく、里芋が振り売りで扱われていました。酒の肴としてとても人気だったようで、文化年間(1804-18年)には居酒屋のメニューに「芋の煮ころばし(里芋の煮っころがし)」を売り物にした「いも酒屋」も現われるようになったそうです。

おでん売り(上燗おでん売り、おでん燗酒売り)

江戸時代には、おでん・燗酒売りの振り売りも行われていました。当時のおでんは、茹でた蒟蒻や里芋に味噌を塗って食べられていた田楽のことで、現代のような煮込みおでんが出てきたのは明治時代とお話されていました。田楽は居酒屋の酒の肴として出され、当時でもとても人気のメニューだったそうです。

ゆで豆(枝豆)売り
現代でも酒の肴として人気の枝豆ですが、江戸時代には夏になると枝豆売りの振り売りの姿があったそうです。枝豆は、食べ歩きが出来るよう枝がついたままの状態で茹でられて売られていました。江戸では枝についたままで売っていたので枝豆売りといったのですが、枝豆の名は、まだ熟しきらない青いうちに枝ごともぎ取った大豆を意味することばとして、枝豆売りが出現するより前に現れています。

飯野亮一先生による講座の後には、江戸文化を感じるお弁当と、燗酒・冷酒あわせた8種類のお酒を参加者の皆さまに楽しんで頂きました。

提供された江戸文化を感じるお弁当と燗にした日本酒
最後の参加者同士の歓談で提供された夏にちなんだ7種類の日本酒

今回のイベントを企画した情報館館長の今田周三は「日本料理は室町時代に独自の発展を遂げ、江戸時代に完成されたといわれています。歴史に培われた日本の食文化の本質を大人の嗜みとして、知って楽しんで頂き次の世代にもつなげてゆきたい」とコメント。

イベントの参加者からは「江戸時代の食は質素なイメージがあったが、酒をいかに楽しむかという様々な工夫と共に発展し、創造よりも豊かで人々が食や酒をとても楽しんでいる印象を受けた。」 と笑顔を浮かべられていました。

情報館館長の今田周三

日本の伝統的な食文化は、その風土や歴史的背景など、人々の生活に根付き独自の発展をしています。
本年は、ユネスコ無形文化遺産登録を目指す「伝統的酒造り」においても、江戸時代に寒造りや三段仕込み等の日本酒の製法が洗練されていった歴史もあり、江戸時代の味覚や食文化は重要な役割を担っているといえます。

情報館では、引き続き『酒にまつわる大人の嗜み講座』をシリーズ化し開催する予定です。

■『酒にまつわる大人の嗜み講座』 次回以降開催予定スケジュール

  • 2024年9月17日(火)18:30~20:00
    「講談と和菓子で楽しむ日本酒の夕べ」(チケット予約: http://jss-event8.peatix.com )

  • 2024年11月20日(水)18:30~20:00
    「酒にまつわる大人の嗜み講座 江戸の燗酒」(詳細:後日公開予定)

  • 2025年1月15日(火)18:30~20:00
    「浪曲と和菓子で楽しむ日本酒の夕べ」(詳細:後日公開予定)

『酒にまつわる大人の嗜み講座』~夏を彩る江戸っ子の肴~概要

  • 開催日時:2024年7月18日(木)18:30~20:00

  • 会場:日本の酒情報館 東京都港区西新橋1-6-15 日本酒造虎ノ門ビル1F

  • 講師: 飯野 亮一(いいの りょういち)
    食文化史研究家。服部栄養専門学校理事・講師。早稲田大学第二文学部卒業。
    著書「居酒屋の誕生」「すし 天ぷら 蕎麦 うなぎ 江戸四大名物食の誕生」「晩酌の誕生」等

  • 主催:日本の酒情報館

今、あなたにオススメ