創業1349年、老舗御菓子処の塩瀬総本家が作る新感覚バタどらケーキのクランベリー味が新登場

株式会社塩瀬総本家はバタどらケーキシリーズの新フレーバー「クランベリーバタどらケーキ」を発売します。また日本橋三越本店では三越ライオン110周年記念限定缶に入ったバタどらケーキセットを販売いたします。

株式会社塩瀬総本家のプレスリリース

発売1年で1万5千個以上販売しご好評いただいております「バタどらケーキ」に新味が登場。クランベリーがふんだんに使われた、「クランベリーバタどらケーキ」が極上のおやつタイムを演出します。創業1349年、甘い餡と饅頭の始まりで知られる塩瀬総本家の新しい餡への挑戦を是非ご賞味ください。

■商品情報

名称      : 「クランベリーバタどらケーキ」

販売開始日 : 2024年5月1日(水)

取扱い場所 : 塩瀬オンラインショップ、築地塩瀬本店、松屋銀座店、日本橋三越本店、高島屋東京店、渋谷ヒカリエ店、大丸東京店、水戸京成店

URL          : https://www.shiose.co.jp/products/cranberry

名称      : 「三越ライオン110周年記念限定缶バタどらケーキセット」

販売開始日 : 2024年5月1日(水) 売り切れ次第終了

取扱い場所 :日本橋三越本店

■「バタどらケーキシリーズ」の開発背景

生活においてホッと一息つける幸せな瞬間のおやつ時間。コーヒーや紅茶により適した、おいしい餡の食べ方はどのようなものか。塩瀬の答えはバターとメープルシロップ、餡がトッピングされたほかほかの温かいパンケーキ「バタどらケーキ」でした。たっぷりとメープルシュガーを含ませて焼き上げた生地にバターと、ふっくらと炊き上げた塩瀬の餡を挟んだリッチなどら焼きです。さまざまなおやつ時間に対応する為、常温でも持ち歩けるようにバターを工夫。メープル味をより感じられるように2種類のメープルシュガーを後乗せ。そのままで食べるとしっかりバターを感じます。レンジで温めて食べるとじゅわっとメープルの甘みが引き立ちます。新感覚のどら焼きとしてご好評いただいております。

「バタどらケーキ」

https://www.shiose.co.jp/products/butterdoracake

新味の「クランベリーバタどらケーキ」ではメープルの代わりにクランベリーを皮と餡にたっぷり使用。フルーツパンケーキをモチーフに、よりおやつに適した美味しい餡の食べ方をご提案いたします。

■「クランベリーバタどらケーキ」の特長

1.      たっぷりの蜜漬けクランベリー使用

バターや餡に負けない風味を出すために特製の蜜に漬け込み、口当たりの良さと旨味を引き出しました。皮にも餡にもクランベリーを配合し、これぞクランベリーパンケーキと言えるようなバタどらケーキを目指しました。

2.      国産無塩フレッシュバター使用

乳本来の風味を引きだす為、国産無塩フレッシュバターを使用。常温でも溶けず、レンジでチンした時に程よくとろけるように加工し、さまざまなおやつタイミングに対応できるように工夫しました。

        

3.      北海道音更のエリモショウズから作られる塩瀬の餡

一流の素材から作られる塩瀬の餡をどら焼き用に調整しました。甘い餡のはじまり、塩瀬だからこそつくれるこだわりの餡です。

■「塩瀬の餡に対する思い

塩瀬初代の林浄因は、京都建仁寺35世龍山徳見の中国留学帰国に伴い

1349年に中国より来日しました。饅頭づくりが得意だった浄因は

肉が食べられない僧侶の為に小豆を甘葛煎(あまづらせん)という植物から

抽出した甘味で煮詰め、日本で初めて甘い小豆餡と饅頭を創作しました。

司馬遼太郎著「饅頭伝来記」には間食/おやつの習慣がない子供たちが

浄因の饅頭をほおばり「おっそろしくうめぇ」と食べる描写があります。

この饅頭は評判となり、やがて宮中に献上されるようになりました。

足利義政公からは「日本第一番饅頭所」と称され、織田信長公、

豊臣秀吉公、徳川家康公など歴代の将軍に愛されました。

江戸名物ガイドブックでは並み居る名物の筆頭として塩瀬饅頭が

挙げられ、明治以降は宮内省御用として祝宴の用意等を任せられました。

塩瀬の餡は、あるときはおやつ、あるときは名物、献上品として

時代とともにさまざまな人に愛され、その人生に寄り添ってきました。

今日も塩瀬の一日は餡を炊くところからはじまります。

             

■塩瀬総本家について

塩瀬初代の林浄因(りんじょういん)は中国で有名な詩人林和靖(りんなせい)の子孫で、京都建仁寺35世龍山徳見(りゅうざんとっけん)の中国留学帰国に伴い 1349年に中国より来日しました。中国では肉の入った饅頭づくりが得意だった浄因は肉が食べられない僧侶の為に小豆を甘葛煎(あまづらせん)という植物から抽出した甘味で煮詰め、日本で初めて甘い小豆餡と、餡が入った饅頭を創作しました。当時としては画期的な浄因の饅頭は、寺院に集う上流階級の人々の心を次々と射止め、やがて龍山禅師の仲介によって宮中に献上するに至りました。その功績が認められ、後村上天皇より宮中の女性との結婚を許されます。

浄因子孫の林紹絆(りんしょうはん)は中国で製菓を研究し大和芋を用いた塩瀬饅頭のベースとなる薯蕷饅頭を開発。帰国後応仁の乱を避け三河の地塩瀬村に疎開し、これより塩瀬と名乗ります。

以来、織田信長公、豊臣秀吉公、徳川家康公等、時代の将軍に塩瀬の饅頭は愛され、足利義政公は「日本第一番饅頭所林氏塩瀬」の看板を、後土御門天皇は「五七の桐」を下賜しました。徳川家康公は戦いにおいて塩瀬の本饅頭を兜の上に供え軍神に戦勝を祈願しました。江戸時代には江戸で一番のお菓子として当時のガイドブックに紹介され、人々が争って買う描写があります。林浄因の子孫林宗味(りんそうみ)は千利休に茶を学び、利休の孫娘を妻にし、今日の袱紗の原型となる塩瀬袱紗を開発、お茶の世界に多大な影響を与えました。

明治時代には菓子商初の宮内省御用を命じられ、当主の渡辺亀次郎はその腕前から菓子の神様と呼ばれ、明治陛下によく召され祝宴のアレンジ等を任されました。

塩瀬は創業670年余りの日本を代表する老舗として、日本人とお菓子とのふれあいを見つめてまいりました。様々な時代を超え、様々な思いを餡に込めて。 ある時はおやつ、ある時は献上品、名物として。時代によって塩瀬の和菓子はその形を変えてきました。

人の目と舌を通じ、なによりも人の心を和ませたいと、今日も挑戦し続けています。

その挑戦を振り返ったとき、続いてきたその道が伝統となっていきます。

■会社概要

社名:株式会社 塩瀬総本家

本社所在地:東京都中央区明石町7-14

代表取締役:川島 一世

事業内容:菓子製造販売

創業:1349年

ブランドサイト:https://www.shiose.co.jp/

オンラインショップ:https://www.shiose.co.jp/pages/onlineshop

【お問合せ】

 フリーダイヤル 0120-106-741

 受付時間 9:00~17:30(日曜・祝日定休)

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