【創業1349年】和菓子老舗の塩瀬総本家が銀座ミツバチプロジェクトとコラボではちみつ羊羹の販売開始

株式会社塩瀬総本家は10月8日より銀座はちみつ羊羹を販売いたします。塩瀬総本家各店舗のほか、銀座界隈のセブンイレブン一部店舗でもお取り扱いいたします。

株式会社塩瀬総本家のプレスリリース

銀座はちみつ羊羹

■商品情報

名称   : 「銀座はちみつ羊羹」

販売開始日 : 2024年10月8日(一部店舗先行販売予定)

取扱い場所 : 塩瀬オンラインショップ、築地本店、松屋銀座店、日本橋三越店、高島屋東京店、渋谷ヒカリエ店、大丸東京店、水戸京成店

銀座界隈のセブンイレブン一部店舗(銀座地下街店、銀座7丁目中央店、八丁堀1丁目店、聖路加タワー店等)

URL : https://www.shiose.co.jp/products/ginzahoney

■「銀座はちみつ羊羹」とは

創業1349年、甘い餡と饅頭の始まり塩瀬総本家。

時代によってさまざまな新しい和菓子の形に挑戦してきました。

今、その歴史の1ページに銀座ミツバチプロジェクトが加わります。

皇居、浜離宮、日比谷公園や銀座周辺の街路樹を飛び回り、甘い蜜を蓄えるみつばちたち。

みつばちたちが働くことで、街の樹々は実をつけ、その実を鳥が食べ、種を遠くに運びます。

みつばちが集めたはちみつは、人が楽しめるだけでなく、植物やいきものの命につながっていきます。

季節の移ろいとともにはちみつの色、味、香りが変わる特徴的な銀座はちみつを使用した特別な羊羹です。

糸寒天をはじめとした昔ながらの上質な原材料と伝統的な製法で作られる塩瀬の江戸前羊羹。明治天皇陛下や山本五十六元帥をはじめ、偉人が愛したその味を銀座はちみつの風味を最大限生かすようにアレンジしました。

■ginpatchi「銀座ミツバチプロジェクト」とは

銀座ミツバチプロジェクトの始まりは2006年春、

銀座の周辺で働く有志たちが集まりビルの屋上でみつばちを飼う活動を開始しました。

ミツバチは蜜を集めてくるだけではなく、銀座に花や緑をもたらしてくれます。

都市部の養蜂ということもありこれまで多くの困難を乗り越えてきました。

この活動でミツバチが繋いだ人の数は国内外各地に1.8万人以上となりました。

銀座ミツバチプロジェクトはこれからも都市と自然の共生を実現し続けていきます。

■「銀座はちみつ羊羹」の特長

1. 銀座はちみつを最大限配合。口いっぱいに広がる特別な味わい

はちみつの味を最大限感じていただきたい、その思いから試作を繰り返しました。餡の味に負けないよう、はちみつをふんだんに使用した他にはない贅沢な羊羹です。一口食べれば芳醇なはちみつの風味が口いっぱいに広がります。塩瀬でしか味わえない特別な味わいをどうぞご賞味ください。

2. 糸寒天をはじめとした妥協ない素材で作られる江戸前羊羹

昔ながらの製法で作られる高価な寒天、糸寒天を使用。塩瀬の羊羹は、この糸寒天を使うことでその味、食感を作り出します。江戸時代より変わらない製法で作られる今では珍しい江戸前羊羹です。明治天皇陛下は塩瀬の羊羹に魅了され毎日のようにご用命があり、お酒と一緒にお召し上がりになりました。山本五十六元帥も塩瀬の羊羹を大変お好みになり御用を承っておりました。

3. 蜂の巣をイメージしたかわいらしいパッケージ

一目見てはちみつのイメージが伝わる、蜂の巣を模したかわいらしいパッケージです。六角形の小さなお部屋は、実際の巣と同じように様々な色のはちみつを表現しており、こだわりが詰まったパッケージです。

■「塩瀬の餡に対する思い

塩瀬初代の林浄因は、京都建仁寺35世龍山徳見の中国留学帰国に伴い

1349年に中国より来日しました。饅頭づくりが得意だった浄因は

肉が食べられない僧侶の為に小豆を甘葛煎(あまづらせん)という植物から

抽出した甘味で煮詰め、日本で初めて甘い小豆餡と饅頭を創作しました。

司馬遼太郎著「饅頭伝来記」には間食/おやつの習慣がない子供たちが

浄因の饅頭をほおばり「おっそろしくうめぇ」と食べる描写があります。

この饅頭は評判となり、やがて宮中に献上されるようになりました。

足利義政公からは「日本第一番饅頭所」と称され、織田信長公、

豊臣秀吉公、徳川家康公など歴代の将軍に愛されました。

江戸名物ガイドブックでは並み居る名物の筆頭として塩瀬饅頭が

挙げられ、明治以降は宮内省御用として祝宴の用意等を任せられました。

塩瀬の餡は、あるときはおやつ、あるときは名物、献上品として

時代とともにさまざまな人に愛され、その人生に寄り添ってきました。

今日も塩瀬の一日は餡を炊くところからはじまります。

■塩瀬総本家について

塩瀬初代の林浄因(りんじょういん)は中国で有名な詩人林和靖(りんなせい)の子孫で、京都建仁寺35世龍山徳見(りゅうざんとっけん)の中国留学帰国に伴い 1349年に中国より来日しました。中国では肉の入った饅頭づくりが得意だった浄因は肉が食べられない僧侶の為に小豆を甘葛煎(あまづらせん)という植物から抽出した甘味で煮詰め、日本で初めて甘い小豆餡と、餡が入った饅頭を創作しました。当時としては画期的な浄因の饅頭は、寺院に集う上流階級の人々の心を次々と射止め、やがて龍山禅師の仲介によって宮中に献上するに至りました。その功績が認められ、後村上天皇より宮中の女性との結婚を許されます。

浄因子孫の林紹絆(りんしょうはん)は中国で製菓を研究し大和芋を用いた塩瀬饅頭のベースとなる薯蕷饅頭を開発。帰国後応仁の乱を避け三河の地塩瀬村に疎開し、これより塩瀬と名乗ります。

以来、織田信長公、豊臣秀吉公、徳川家康公等、時代の将軍に塩瀬の饅頭は愛され、足利義政公は「日本第一番饅頭所林氏塩瀬」の看板を、後土御門天皇は「五七の桐」を下賜しました。徳川家康公は戦いにおいて塩瀬の本饅頭を兜の上に供え軍神に戦勝を祈願しました。江戸時代には江戸で一番のお菓子として当時のガイドブックに紹介され、人々が争って買う描写があります。林浄因の子孫林宗味(りんそうみ)は千利休に茶を学び、利休の孫娘を妻にし、今日の袱紗の原型となる塩瀬袱紗を開発、お茶の世界に多大な影響を与えました。

明治時代には菓子商初の宮内省御用を命じられ、当主の渡辺亀次郎はその腕前から菓子の神様と呼ばれ、明治陛下によく召され祝宴のアレンジ等を任されました。

塩瀬は創業670年余りの日本を代表する老舗として、日本人とお菓子とのふれあいを見つめてまいりました。様々な時代を超え、様々な思いを餡に込めて。 ある時はおやつ、ある時は献上品、名物として。時代によって塩瀬の和菓子はその形を変えてきました。

人の目と舌を通じ、なによりも人の心を和ませたいと、今日も挑戦し続けています。

その挑戦を振り返ったとき、続いてきたその道が伝統となっていきます。

■会社概要

社名:株式会社 塩瀬総本家

本社所在地:東京都中央区明石町7-14

代表取締役:川島 一世

事業内容:菓子製造販売

創業:1349年

ブランドサイト:https://www.shiose.co.jp/

オンラインショップ:https://www.shiose.co.jp/pages/onlineshop

【お問合せ】

フリーダイヤル 0120-106-741

受付時間 9:00~17:30(日曜・祝日定休)

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