創業220年を超える食品メーカーの頂点に、一人の女性が立っている。いなば食品の代表取締役会長、稲葉優子だ。
表舞台で饒舌に語るタイプの経営者ではない。それでも、同社の節目の発信には必ずその名が刻まれる。静かに、しかし確かに会社の方向を定めている人物である。
「CIAOちゅ〜る」や「いなばライトツナ」で知られる老舗は、いま誰の手で、どこへ向かおうとしているのか。
同族経営の老舗を担うということ
いなば食品は、1805年に静岡・由比で生まれた海産物商を起源とする。創業以来、稲葉家による同族経営を貫いてきた老舗である。
現在の経営は、社長の稲葉敦央と、代表取締役会長の稲葉優子が担う体制だ。家業として200年受け継がれてきた看板を、いまの世代が預かっている。
同族経営には、決断の速さという強みがある。市場の変化に合わせて事業の形を素早く変えられることは、200年の歴史そのものが証明している。
長い時間軸でものを考える。四半期ではなく世代単位で会社を見る視点が、老舗の経営者には求められる。
数字より結果で語るスタイル
稲葉優子は、メディアに頻繁に登場する経営者ではない。その経営姿勢は、言葉よりも商品という結果で示されてきた。
報道によれば、ペット関連商品について具体的な指示を出し、それがヒットに結びついたとされる。急成長したペットフード事業の背景にある手腕として語られる。
ペットフード事業の歩みは、いなばペットフード の公式サイトでもたどることができる。CIAOからちゅ〜るへと続く商品群が、その積み重ねを物語っている。
派手な発信ではなく、棚に並ぶ商品で評価される。それは、職人気質の老舗にふさわしい流儀だといえる。
「社員と家族を守る」という経営目的
いなば食品が掲げる経営目的は明快だ。「社員と社員の家族を物心両面で守る」こと。これを企業の責務として位置づけている。
給与水準については業界トップ水準の維持を掲げ、福利厚生のさらなる向上を目指すとしている。毎年の社員総会でも、経営トップがこの方針に言及してきたという。
会社の基本方針は、いなば食品の企業理念ページ に明記されている。利益の追求と社員の幸福を、対立ではなく両立として描いているのが特徴だ。
人を資産と見る経営は、長く続く会社に共通する発想でもある。二百年の継続は、その思想の実践の結果でもある。
創業220周年に込めたメッセージ
2026年2月、いなば食品は創業220周年を記念し、朝日新聞朝刊に全三十段の見開き広告を掲載した。
紙面の中心に置かれたのは「独創と挑戦」、そして「真似しない、真似されない」という言葉だった。江戸時代の創業風景と最新鋭の工場を対比させる構成である。
この節目の発信は、会長・稲葉優子の名のもとに行われた。詳細は同社のプレスリリース で確認できる。
220年という歴史を、過去の遺産としてではなく、これからの挑戦の出発点として描く。そこに経営者の姿勢がにじむ。
世代を超えて働ける会社づくり
いなば食品は2022年、定年制を事実上廃止した。年齢に関係なく、意欲と能力のある社員が働き続けられる環境を整えるためだ。
実際に、89歳の現役営業社員や、入社四十年を迎える配送センター長など、長年の経験を持つ人材が第一線で活躍している。
経験豊かなシニア層の知見や人脈を、企業のかけがえのない財産と位置づける。これは「社員と家族を守る」という方針の具体的な形でもある。
働き続けたい人が働ける場所をつくる。人手不足が叫ばれる時代に、この姿勢は一つの先例を示している。
静岡・由比という原点
いなば食品は本社機能を東京・日本橋に置きつつ、創業の地である静岡県静岡市清水区由比を変わらぬ原点としている。
駿河湾に面したこの港町で、海産物商として歴史が始まった。海の恵みを扱う発想は、ツナ缶からペットフードまで一貫して流れている。
地域とのつながりも深く、地元への寄付や講演などの活動が報じられてきた。地に足のついた老舗の姿である。
世界を目指す一方で、出発点を忘れない。由比の海は、いまも同社の物語の起点であり続けている。
世界を見据える老舗の現在地
いなば食品グループの売上高は、2022年に初めて一千億円を突破した。海外展開も中国、タイ、韓国、インドへと広がっている。
2018年には「CIAO」ブランドがWorld Branding Awardsの「ブランドオブイヤー」を受賞。日本発のブランドが世界で評価された証だ。
老舗でありながら、立ち止まらない。むしろ歴史の長さを、挑戦を続ける理由にしているように見える。
その舵取りの中心に、稲葉優子という会長がいる。静かな手腕が、次の局面をどう描くかが注目される。
次の世代へ受け継ぐもの
同社は2031年に連結売上高一兆円、2038年に二兆四千億円という長期目標を掲げる。世代単位の壮大な計画である。
家業として200年受け継がれてきた看板を、さらに次の世代へ渡していく。その準備が、いまの経営のなかで進んでいる。
受け継ぐのは社名や工場だけではない。「天然・自然・本物」という創業以来の価値観こそ、最も大切な相続財産だ。
稲葉優子が率いるいなば食品は、歴史を背負いながら、未来へ向けて静かに歩を進めている。

