一族経営でグローバルに展開する世界最古のクリスタルグラスブランド、リーデル

RSN Japan株式会社のプレスリリース

11代続くリーデル家は、代々にわたる当主の夫人の、愛や家族や事業への献身があったからこそ繁栄してきました。夫人は舞台裏で身を粉にして一家と家業をサポートし、鼓舞し、勇気付け、そして当主の成功に最大の貢献をしていることを決して忘れてはなりません。(リーデル家10代目当主、ゲオルグ・ヨーゼフ・リーデル)

 

リーデル家の歴史は、ヨーロッパの歴史と同じくらいエネルギーに満ちており、同時に密接につながっています。

1756年、それはオーストリアで天才作曲家モーツァルトが誕生し、ポルトガルではワインの原産地呼称管理法が初めて制定され、またイタリアのヴェネツィアではカサノヴァがドゥカーレ宮殿の牢獄から脱獄した年。同時代には、マリア・テレジアが女帝としてオーストリアを統治し、ヨーロッパでは迫り来る嵐の予兆が見られました。七年戦争では、オーストリア=ハンガリーがシュレージエンの奪還を試みましたが、他の強国も加わり、ヨーロッパ大陸全土を震撼させる事態となりました。そしてその後、ヨーロッパ各地の支配者らは経済回復を目的として、農業の近代化と産業振興を行うことになります。そうした希望的な空気が流れる時期に、リーデル社は産声をあげました。そして、その後数世紀にわたり、高品質なガラス製品を象徴する存在となります。1756年、ボヘミアはハプスブルグ家の統治下にありました。そのボヘミアの地でヨハン・レオポルド・リーデル(3代目)により、このガラス帝国の物語が始まりました。リーデル社は現在まで脈々とガラスと深く関わり続けています。

リーデル社のグラスメーカーとしての歴史には、心奪われる伝説や驚くべきサクセスストーリーが数多くあります。その一方で、経済危機や一家を襲った悲劇にも見舞われました。リーデル社は、ハプスブルグ帝国の終焉や、チェコスロバキア共和国建国時の社会的な動乱、さらに世界的な経済危機の影響などを、その技術と創造性をもって切り抜けてきました。第二次世界大戦後、リーデル家は追放され、ボヘミアにあったすべての財産や工房、さらに個人の資産まですべてが没収されました。8代目のワルター・リーデルに至っては、ロシアで10年間の捕虜生活を余儀なくされ、リーデル社の輝かしい未来は消滅したかのように思われました。しかし、ワルター・リーデルの並外れた勇気と努力により、物語は異なる方向に展開していきます。彼のレガシーは、オーストリアのチロル地方、クフシュタインで再び始まることになります。その後のことは、皆さんご存知の通りです。

初代当主:ヨハン・クリストフ・リーデル(1673-1744)は、ガラス商人としてヨーロッパ中を回っていました。後にリーデル社を設立する3代目当主ヨハン・レオポルド・リーデルの祖父にあたるため、“リーデルの祖父”と呼ばれています。
2代目:ヨハン・カール・リーデル(1701-1781)は、ガラス塗装・メッキ職人として事業を継承し、ガラス製品の製造・装飾を行いました。

3代目:ヨハン・レオポルド・リーデル(1726-1800)は、起業家精神に満ちたガラス帝国の創設者として歴史に名が刻まれています。 1756年5月17日、最初のヴァルトガラス(ドイツ語で森のガラスの意味)の製造を始めました。七年戦争勃発と同年、マリア・テレジア女帝はボヘミアを対象とした補償基金を設立します。これを資金として、大きな打撃を受けたツィッタ市の窓ガラス修復などが行われます。ヨハン・レオポルド・リーデルは板ガラスのみならず、さまざまなガラス製品も製造しました。

4代目:アントン・レオポルド・リーデル(1761-1821)は、父の事業を引き継ぎ、さらに拡大させました。板ガラス中心だった取扱製品が、より壮麗な製品へと変化していきます。それにより、手吹きガラスの製造、表面仕上げによる細工、さらにシャンデリア用ガラスの製造といった、未知の領域で利益率の高い事業の開発を進めるようになりました。
 

5代目:フランツ・クサファー・アントン・リーデル(1786-1844)は、優れた才能と職人技を持つガラス彫刻・細工職人として有名でした。現在、彼の署名入り作品はオークションで高い人気を誇ります。彼は、それまでにない色のガラスを作り出すことに成功しました。黄色と緑色の蛍光色2色です。この2色は、フランツの娘の名にちなんで“アンナゲルプ(アンナの黄色)” “アンナグリュン(アンナの緑色)”として、文学作品の中にも登場します。
 

6代目:ヨーゼフ・リーデル・シニア(1816-1894)は、5代目の甥にあたります。14歳で助手として事業に加わり、1840年、24歳の時に5代目の娘であるアンナと結婚します。彼はもともと素晴らしい才能の持ち主でしたが、自身の生きた時代が産業革命が始まったタイミングと重なったことにも恵まれました。彼の名は、“イゼラ山脈のガラス王”として歴史に刻まれました。ヨーゼフ・リーデル・シニアは、ヴァルトガラスに別れを告げ、生産の拠点をポーラオンに移しました。そして1875年に開通した鉄道を活用します。それにより、工業地帯の主要市場へのアクセスが確保され、事業のさらなる拡大の基盤を築きました。最初の妻、アンナは36歳でこの世を去りました。2回目の結婚で恵まれた息子、ヨーゼフ・クレメンタイン・ニューウィンガーに、リーデル家7代目を引き継ぐことになります。

7代目:ヨーゼフ・リーデル・ジュニア(1862-1924)は、優秀な化学者であり、同時に非常に優れたエンジニアでもありました。 600色ものガラスを生み、ガラスビーズやギフト用製品を製作しました。さらに機械エンジニアとして、ガラスビーズ生産の仕上げ加工や自動化の開発を進め、多くの特許を取得しています。

 

8代目:ワルター・リーデル(1895-1974)は、父の才能を受け継ぎました。ガラス産業に多くの技術進歩をもたらし、回転式グラスファイバー、信号用色ガラス、反射ガラス、精巧な理化学用ガラスなど、数々の発明を行いました。彼はリーデルを技術ガラス生産の方向に導いて、戦争中の需要に応えました。1944年、ドイツの航空省は、レーダーを使って地上から航空偵察を行うシステム、「Tonne」を秘密裏に計画しました。当時、同計画に使用されていたモニターの直径は最大38cmでした。その長さと解像度を倍にできたのが、ワルター・リーデルと工房の職人たちだけでした。リーデル社が製造した直径76cmのモニターは、当時の世界では画期的なものでした。
ワルター・リーデルは、この発明の将来性を認識しており、戦後は社会のために役立てようと使用権を取得していました。しかしその計画はロシア占領軍によって頓挫します。科学者であったワルター・リーデルは1945年5月に収監され、捕虜収容所に送られます。これにより、ボヘミアにおけるリーデル一族の歴史は終焉を迎えます。第二次大戦後、一族は工房や個人資産など、全財産を没収されました。
1955年、ワルター・リーデルはついに釈放されました。ボヘミアで初のヴァルトガラスを製造してから200年後の1956年、リーデル社の新しい物語が、オーストリアのクフシュタインで始まりました。スワロフスキー家の支援を受け、ワルター・リーデルと息子のクラウス・リーデルは、破産したチロル地方のガラス工房を引き継ぐことになります。かつてボヘミアにあった頃と同じく、手吹きガラス製造会社が設立されました。ワルター・リーデルは、ボヘミアでの過去と、オーストリアでの新たな未来、新旧の時代を象徴する存在となりました。

9代目:クラウス・ヨーゼフ・リーデル(1925-2004)は、先見の明がありました。芸術家としての豊かな才能と、形状とバランスに対する並外れた感覚を備えていたことで、ワインのためのワイングラスを開発し、パイオニア的発明を行いました。
彼は、“現代ワイングラスの父”となったのです。クラウス・リーデルは、グラス史上初めて、ワインを最大限に楽しむためのグラスの形状、サイズ、リム(飲み口)の直径の理想的な相関関係を割り出しました。彼のグラスは、ステム(脚)が長くなめらかで、装飾がなく、手吹きで非常に薄く作られています。1950年代から60年代にかけて、数々のデザイン賞を受賞しました。1973年、彼の革新的な発明により、リーデルは再びガラス界のリーダーとなります。それは、ワインを楽しむことに特化した初のブドウ品種別形状のグラスシリーズで、<ソムリエ>として今も世界中で知られています。
 

10代目:ゲオルグ・ヨーゼフ・リーデル(1949-)は、グローバルなビジョンをもち、リーデルを世界的な成功に導きました。アメリカ市場の重要性をいち早く認識し、1979年には「リーデル・クリスタル・オブ・アメリカ」を子会社として設立しました。1986年には、機械生産による史上初のブドウ品種別ワイングラス、<ヴィノム シリーズ>を世に送り出します。このシリーズにより、リーデルが生んだ機能性ワイングラスの概念がより手頃なものとなり、世界各国で知られるところとなりました。さらに事業強化の目的で、2004年にドイツのガラスメーカー、ナハトマンを合併します。
そして、それが後の成長の基盤となりました。現在、リーデルの輸出比率は97%であり、機能性グラスの製造では他を圧倒する世界的リーディングカンパニーとなっています。
ゲオルグ・リーデルは、グラスメーカー、グラスデザイナーとしての長いキャリアの中で、機能的なグラスを数多く製造していますが、それらは、飲み物の楽しみを深めるためにデザインされたものです。ブドウ品種別ワイングラスの製造の背景には、精巧にデザインされたグラス形状が芳香豊かなあらゆる飲み物への感覚を鋭くさせるという、リーデルの強い信念があります。最新シリーズである<リーデル・ワインウイングス>と<SL リーデル・ステムレス・ウイングス>は、従来のワイングラスの形状にまたもや革新をもたらし、デザインも印象的です。
 

11代目:マキシミリアン・ヨーゼフ・リーデル(1977-)は、1997年にリーデル社に参画し、25歳の時に、一族の事業で最も重要な市場であるアメリカにおいてリーデル・クリスタル・オブ・アメリカの最高経営責任者(CEO)となりました。彼は経営の才覚を発揮し、北アメリカをリーデル最大の輸出市場に育て上げました。マキシミリアン・リーデルは、CEOとしての役割に加えて、デカンタおよびグラスのデザイナーとして世界的な知名度を誇ります。2001年には、<リーデル・レストラン シリーズ>を開発し、業務用製品にも注力。同シリーズは、リーデルの成功を支える2本柱のひとつとなるまでに成長しています。さらにクリエイティブな才能を発揮して、2004年にはブドウ品種別にデザインされたステムのないワインタンブラー<リーデル・オー シリーズ>を発表しました。また、初の“宙吹き”のハンドメイド・デカンタ、『コルネット』を発表し、その後も数々の“宙吹き”のデカンタを世に生み出しました。以降、彼が手がけるデザインは、多くのデザイン 賞を受賞しています。
マキシミリアン・リーデルは、リーデルのオンラインセールス戦略の立案・展開に尽力し、同事業はリーデルの“ダイレクト・トゥ・コンシューマー”事業で最も重要なセールス・チャネルとなっています。同氏はさらに、他社との交流を積極的に行い、ドイツの高級家電・業務用電気機器メーカー、ミーレ(Miele)などとの事業提携を進めました。加えて社会貢献活動にも非常に意欲的です。がんやエイズへの理解を啓発する団体やナパバレー・ワイン・オークションといった数多くの団体を支援することで、社会貢献を続けています。
ソーシャルメディアの興隆で、消費者とのコミュニケーションは飛躍的に強固になりましたが、同時に消費者は他のさまざまなプラットフォームにアクセスできるようになっています。マキシミリアン・リーデルは早くからこのことに気づき、その機会を利用してきました。リーデルはソーシャルメディアを活用した日常のコミュニケーションや定期的なキャンペーン、さらにマネージング・ディレクターである彼自身からのコメントなどを通して、消費者との直接的なコンタクトの機会を増やしています。
2013年7月1日、マキシミリアンはゲオルグ・リーデルから本社Tiroler Glashütteの経営および全世界の子会社を引き継ぎました。以降、彼は素晴らしい手腕や実績により、厳しい時期もリーデル社をリードすると同時に、サステナビリティや生産・ロジスティクス効率の向上、さらには新型コロナウイルスといった課題にも対処しています。

■リーデル公式ブランドサイト
https://www.riedel.co.jp/

■リーデル公式オンラインショップ
https://shop.riedel.co.jp

■リーデル公式 Facebook
https://ja-jp.facebook.com/riedeljapan/

■リーデル公式Instagram(リーデル銀座店)
https://www.instagram.com/riedelginza/

■リーデル (RIEDEL)について
世界中のワイン愛好家が絶賛するオーストリアの名門ワイングラスブランド 『リーデル』

オーストリアの偉大な作曲家モーツアルトが生まれた1756 年に創業し、265年以上もの歴史を誇るワイングラスの老舗、リーデル。同じワインでも異なる形状のグラスで飲むと香りや味わいの印象が変わるという事に着目し、様々なブドウ品種の個性に合わせた機能的なグラスを豊富なバリエーションで生み出しています。これらのグラスはリーデル独自で開発するのではなく、世界中のワイン生産者たちと共に納得のいくまで “ワークショップ”(テイスティング)を繰り返し、最適な形状を探し当てるというプロセスを経て決定されます。

 

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